元はただの石ころ

「確かなのは過去でも未来でもなく今」とわかっているけれど、そう簡単に割り切れない奴の日常

【映画感想文】クラッシュ

 

クラッシュ [DVD]

クラッシュ [DVD]

 

 

僕はアメリカに行ったことがない。

だから、この映画で描写されているアメリカでの人種差別の実態についてはよく知らない。もちろん、一般常識程度の知識なら持っている。かつて、黒人たちを奴隷として扱ってきたアメリカ。その後、この人種差別を撤廃するために黒人たちが立ち上がった公民権運動。これによって、差別はなくなったはずだった。

けれど実際は、表面だけなのかもしれない。その殻を破れば、ドロドロとした醜い争いや差別が隠されているのかもしれない。

 

人は、自分より劣っているものを作り出して、それで安心しようとする生き物なのだろう。

だから、これまでに数多くの人たちが平等を訴えて、でも実際は平等とは程遠い現実がある。アメリカの場合だけではないが、この映画を見て、もはやアメリカの白人が黒人を差別するのは一種の文化として定着している感じを受けた。ここまできてしまうと、簡単に「差別を無くせ」と唱えても何も変わらないだろう。

 

しかし、だからと言ってそのままにすれば良いという問題ではない。こういう映画があることはとても大切だが、もっと大切なことは、白人と黒人が本当の意味で理解しあうことだ。その為には、幼児期からの教育に関しても再考しなくてはいけなくなると思う。学校教育だけではもちろんダメで、親やその子どもに接する全ての人たちが、黒人白人のわけ隔てなく接する姿勢を積極的に見せなくてはならない。そしてそれは決してうわべだけのものではなく、心からの姿勢でなくてはならない。子どもたちは驚くほど親や自分の周りの大人たちをよく見ているから。

 

人が他者を差別するのは、その相手に対する「無知」があるからだ。

知らなければ理解することは当然出来ないし、存在を認めることさえも難しい。これは、当たり前のことだ。

でも、「知らない他者のことを公平な視点から知ろうと努力する」ことができる人というのは、意外と少ないと思う。

「そこまで知らなくても良い、自分の生活に関係ない」そう言って、「考えること、知ることを放棄」してしまう。自分の生活が、何はともあれ一番大切なのだから。それは仕方が無い。でも、時々はこの「事実」を思い出したい。

 

人間は利己的である。だから差別は起こる。この事を頭に入れておく。時々、思い出すようにしておく。それだけで、差別の1歩手前で、何か別の行動をしようと思えるかもしれない。こういう小さな意識が、差別を無くす1歩になる、そう信じたい。