元はただの石ころ

「確かなのは過去でも未来でもなく今」とわかっているけれど、そう簡単に割り切れない奴の日常

世界一走り続ける民~メキシコ・ララムリ~

地球イチバンというNHKの番組が面白くて、毎週トルネで録画して見ていた。

 

これまで見た中で、特に面白かった内容について、書いてみることにする。

 

「世界一走り続ける民~メキシコ・ララムリ~
メキシコの渓谷深く“走ることで命をつなぐ民”がいる。人はなぜ走るのか —」


NHK 地球イチバン

 

メキシコの山岳民族、ララムリ。

ララムリとは「走る民」という意味。彼らの持久力はすごい。たとえば、子どもたちが夜通し走り続けたりする習慣がある。100キロを超える距離を走るウルトラマラソンに、村人たちは民族衣装と独自のわらじ(ワラッチ)で参加して、毎回上位を独占している。

 

彼らの日常生活がそれを可能にしているようだ。山岳地帯に住む彼らは、毎朝、ふもとに水くみに出かける。それも驚異的な早さで山を駆け下り、そして20kgもの水を持って軽やかに駆け上がる。

 

なぜ彼らは走るのか。
わからない――と彼らは言う。
彼らは自分の感情を表現する言葉を持たない。

 

歴史を振り返ってみれば、彼らの祖先はスペイン人たちの侵略を逃れ、険しい山中に散らばったという。
けれど、それはもう百年以上前の話。
今の彼らは、とても楽しそうに走っていた。

 

楽しいから、走る。

自分も子どもの頃は、公園でよく走り回っていた。

走っている時、もっと速く走れないかと脚を必死に動かしていた。加速していって、そのうち、もしかしたら少しの間、空も飛べるかもしれないと思った。こんな気持ちをララムリは走ることで常に得ているのかもしれない。

 

走ること=コミュニケーション

彼らの生活は、日本人のそれと比べてとても貧しいけれども、なぜだか羨ましくてしかたがない。普段、僕たちが簡単に言葉にして誤摩化してしまってきたものを彼らは心の中に持っていて、それを言葉にしなくたって、走ることで繋がっている。感情を共有している。

番組では特に、走ること=ララムリたちのコミュニケーション、なんてことは述べられていなかったけれど、僕はそう感じた。

 

走ることは、しあわせだ。
走ることは、祈りだ。
走ることは、生きることだ。

 

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