お通夜、お葬式で感じた2つのことについて
以前、母方の祖母が亡くなったときにも、孫としてお通夜とお葬式に参加していたので、式の流れなどはわかっていましたが、案の定、色々とバタバタ忙しかったです。
仏教形式の一般的なお葬式だったとは思いますが、思ったことが2つあるので書いておきたいと思います。
*これから書くことは、自分が参加したお通夜とお葬式に関するものです。なので、(お分かりと思いますが)これが標準ということはないと思いますし、それこそ数だけ違いがあるということをご承知ください。
孫は受付をやるので、お通夜、出棺式に参加できない
受付は孫がやることになっていたので、お通夜とお葬式の出棺式(出棺する前に最期に故人と顔を合わせる式)に参加できませんでした。式中も遅れて来る方はいるので、受付に最低1人はいないといけません。というわけで、最初は弟や親戚も受付をしていたのですが、式が始まったら他の人達は式に参加させて、自分は1人受付で待機という状態になりました(一応長男ですので)。お焼香をするときだけ、弟に戻ってきてもらいましたが、終わったらまた受付をしました。葬儀社の人に任せて自分も参加したかったなぁという印象を持ちました。香典(お金)を受け取るので、やはり身内が対応するべきというのはわかるのですが……。
お坊さんの言葉がないと味気ない
今回のお通夜とお葬式を依頼したお寺のお坊さんは、お経のみでした。前回、母方の祖母が亡くなった時は、お葬式の最後にお坊さんの言葉(故人を偲ぶ言葉など)があったので、なんだか物足りないという感じがしました。決して安くはない金額を払ってお願いしているのですから、ありがたい言葉の1つや2つ言ってくれても良さそうなものですが、それがなかったので、母は帰宅後下記のような悪態をついていました(笑)。
「あんなにお金払って、お経読むだけなんだからいい商売ね、お坊さんは」
*多分、お経を読むことで供養した事にはなると思うので、故人を偲ぶ言葉は要らないのかもしれません。でも遺族は、わかり易い言葉での故人を偲ぶ言葉がほしいのです。
以上ですが、なんだか不満点を述べただけになってしまいましたね。
お通夜もお葬式も滞り無く終了しましたので、それで良しとするべきなのでしょうが、一言物申したい精神を抑えることができませんでした。なにか思うところがありましたらお気軽にコメントお願いします。
実は、孫代表として祖母へ手紙を書いて、それを本日のお葬式にて読ませていただいたので、そのことについても、また後日書きたいと思います。