元はただの石ころ

「確かなのは過去でも未来でもなく今」とわかっているけれど、そう簡単に割り切れない奴の日常

新入社員のあなたへ伝えたいこと

今年もまた桜が咲いた。

 

僕が働いている会社の近くには桜が有名な通りがある。その桜の下を新入社員と思われる人たちが颯爽と歩いている。今日なんかは、風がとても強かったから桜の花びらが散って彼ら、彼女らの頭の上にそっと舞い落ちたりしたはず。

 

彼ら、彼女らはなぜだか集団だ。最寄りの地下鉄改札前が賑やかだったのはつまりそういうことか。彼ら、彼女らは連れ立って会社に行くのだ。僕にはその光景がとても不思議に見える。僕は大卒で横浜の会社に就職して、同期もいたけれど、会社へ行く時は一人だった気がする。

 

何の話をしているのかわからないけれど、彼ら、彼女らはとても楽しそうだ。否、楽しそうという表現は語弊があるかもしれない。生き生きとしている。輝いている。それはつまり、若さだ。若さの特権だ。と今年31歳になる僕なんかは思う。

 

君達もきっといつか歳をとって、僕と同じように桜の木の下を歩く新入社員を見る時が来るんだろう。今はそんなこと思いもしないだろうけれど、きっとそれでいい。


さて、書きたいこととは関係ないことをつらつらと書いてしまった。今日は僕の新入社員時代の話でも書いてみることにする。

正直、今でもあまり思い出したくない部分はあるのだけれど、もしよかったら読んでみてほしい。ちょっと長くなりそうなので、見出しをつけて書いていく。

 

就職活動

僕の地元は静岡の片田舎だ。生まれてから大学までずっと静岡県内だったから、実家で暮らしていた。大学3年時、就職活動が始まった。就職活動、しんどかったなぁ。そういえば、就職活動したくなくて、ニュージーランドに1年間留学したりもしたっけ(笑。と、これは関係ないので割愛。

僕は本を読むのが好きだったから、よくあるように、出版社を受け、これまたよくあるようにことごとく全滅。その後、IT関係の会社を受けるもこちらも全滅。運良く受かったのが、横浜のとある会社だった。ちなみに最初から地元の会社は受けなかった。地元を出たいという気持ちが強かった。友達もほとんどいなかったし、なにより、東京や横浜での暮らしに憧れていた。僕にとって東京の魅力というのは、美術館だ。有名な美術展はそのほとんどがまず都内で開かれる。静岡の美術館に巡回に来るのはそう多くない。絵を見るのが大好きな自分にとって、都内や横浜に住めば、気軽に美術館に行ける。これはとても大きな魅力だった。というわけで、とある横浜の会社に受かった時、僕はそのまま内定を受諾して、就職活動を終えた。

 

一人暮らし

実家を出て会社借り上げのアパートに住んだ。6畳ワンルーム。狭いし古いしユニットバスだったけれども、横浜まで電車で15分程度で行ける場所だったから嬉しかった。週末はよく横浜駅周辺やら桜木町やらに行った。もちろん横浜美術館も。上野の美術館にもよく行った。
と、ここまで書いてきて全然仕事の話ではないことに気づき始めた。どうにも脱線大好きな性分であるらしく、読者をイラつかせるのに長けているようで申し訳ない。
次の見出しからようやく本題に入る。

 

駄目社員

新入社員として電話応対とか上司の名前を覚えたりだとか色々と大変だった。自己紹介の際、自分の所属部署が何部で何課で……といったことさえ、とっさに出てこなくて焦った。新入社員は大抵、そんなものかもしれない。けれど当時は、他の同期がそつなく自己紹介をしているのを見て、自分は駄目だなと思っていた。

 

直属の上司

他の会社もそうなのかもしれないけれど、「新人には一人先輩社員がついて指導する」という制度が、その会社にはあった。僕にあてがわれたのは、30歳手前の女性の上司だった。
この上司との出会いが、僕の地獄の生活の始まりだった。
簡単に言ってしまうと、僕はこの上司と、とことんうまくいかなかった。この上司は、仕事がとてもできた。そして、僕はおそらく、新入社員の中で、一番仕事ができない人だった。
僕は、一度上司から仕事のやり方を教わっても、すぐに忘れてしまい、また聞き返すことをしていた。それはメモを取らないからだ、と上司が言ったので、それからはメモを必ずとるようにした。でも、メモをとっても、しばらくするとそのメモがたくさんになりすぎて訳が分からなくなってきたので、ノートに全て書き出すことにした。日々、新しいことを覚えるためにメモをとった。

 

ある日、上司にこう言われた。
「これ、前にも教えたよね?なんで覚えてないの?メモ取ってるんでしょ。意味ないじゃん」

また別の日には
上司「あれ、前に教えなかったっけ?」
僕は教わっていないような気がしたが、高圧的な言い方に返答できずにいると
「教えた?教えてないなら言ってよ。もし教えてたなら思い出して」
と言い残し、自分の机に向き直った。

 

こういうことが何度か続いた。それ以外にも仕事でのミスについて、徹底的に論理的に考えて対策を考えレポートを書く、とか、文章がまるで駄目だからと言ってなんどもなんどもダメ出しされる文章を修正したりしているうちに、段々と、会社に行くのが嫌になってきた。


朝起きても、ベッドを出たくない。身体が重い。でも、なんとか会社に行った。ズル休みするなんて考えられなかった。ひたすら這うように会社に行っては上司のダメ出しを受けた。それが入社してからの2年間続いた。僕の体重は入社直後から7キロ近くも落ちた。今思うとストレスに体が反応していたのだと思う。

休みの日でも仕事のことが頭から離れなくなった。何をしていても上司の叱責する顔が思い浮かんできた。辛くて逃げ出したかったけれど、ここで辞めたら上司に負けたことになると思って、必死に会社に行った。

 

転機

ある日、課長に呼び出された。その場ではなく、別の場所に連れて行かれた。
「おまえ、大丈夫か」
「何がですか」
「何って◯◯(上司の名前)だよ。どうしても無理だったら早めに言えよ」
「いえ、自分が仕事ができないのが悪いんです」
「でも、もうキツいなら早めにヘルプ出せよ。形式的に自分から言ってもらわないとダメだが、上司を変えることもできるから」

 

それからもしばらくは、ぼくはその上司の下に居続けた。なぜだったんだろう。僕はその頃、この上司に対し、殺意に似たものさえ感じ始めていた。この人さえいなくなれば、と思い、夢の中で何度も上司を殺す夢を見た。もちろんそれを行動に移しはしなかったけれども、今思うと相当に追い詰められていたと思う。

 

その日も上司から、終わりが見えない文章修正をさせられて職場に残っていた。そろそろ帰らないと明日起きれなくなる、そんな時間だった。上司はとっくに退社していた。きっと明日、また文章をチェックされて、ダメ出しを食らうだろう。
僕は、もう無理だと思った。その場で課長宛にメールを書いた。
「限界です」と。

 

そして、僕は別の課に移ることになった。これは2年目の新人にしては異例だったと思うが、直属の上司と離れることができた。
別の課に移って、しばらく、年配の男性社員が僕の仕事を見てくれた。その時、思った。同じ仕事の内容でもこんなにも違うのかと。この人はやさしかった。分からなくて何度聞き返しても嫌な顔せずに教えてくれた。それどころか、時折、冗談を織り交ぜながら僕のことを気にかけ、色々と話しかけてくれた。

 

伝えたいこと

職場の上司との関係がうまくいかなくて悩んでいる人がいたら、とにかく、その上司ではなくて他の上司に相談してみてほしいと思う。僕は課を変わってから、仕事に対して少しずつ自信を持てるようになった。つまり、単純に最初に配属された部署の上司とは、うまくいかなかっただけなのだ。それは自分にとっても不幸ではあるが、上司にとっても不幸だ。ミスマッチ。よくあることだ。大切なのは、それをいかに修正していくかということ。他の上司がフォローしてくれる場合もあるが、その際も多分、当人の意思が一番に尊重されるはずだから、なるべく声を出すことを勧めたい。別の部署や課に配属されたり、上司を変えてもらうだけで、案外と居心地がいい職場だと思えたりする。

 

もし、それでもうまくいかなかったり、話のわからない人たちばかりだったとしたら、自分が悪いんじゃない。会社が悪いのだ。そういう会社はさっさと辞めてしまおう。会社なんて本当に掃いて捨てるほどたくさんあるのだから。辞めるのだったら早いほうがいい。若さというのはそれだけでアドバンテージがある。転職する際にも、ハロワで求人を探すと、未経験可(ただし20代に限る)というのは、よく見かける(転職経験ありなので知ってる)。

 

最後に

無理に会社に行く必要なんてないんだ。自分を押し殺してまでいるところではないんだ、会社というのは。今の職場が辛いのなら、どうか無理をしないでほしい。ズル休みしたっていい。転職先が決まっていなくても、辞めたっていい。辞めても絶対どうにかなる(どうにかなった人がここにいる)。周囲の偏見に負けるな。自分の人生は自分で決めるべきなのだから。

自分自身を、どうか大切に。

 

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