元はただの石ころ

「確かなのは過去でも未来でもなく今」とわかっているけれど、そう簡単に割り切れない奴の日常

【読書感想文】『右岸(上・下)』(辻仁成)

僕がパリに行ったのは1年と少し前。それなのに、もうずいぶんと前の事のようにも感じる。もしかしたらあれは夢だったのではないだろうか、なんてことも思う。それが現実だったと思い出せるのは、セーヌ川とエッフェル塔の描かれた絵ハガキが今も自分の部屋に飾ってあるから。

 

右岸と左岸とは?

川の流れと同じ方向に立った時、自分の右側を「右岸」、左側を「左岸」というらしい。今回紹介する小説は『右岸』(男性視点でのストーリー)だが、実は江國香織による『左岸』(女性視点でのストーリー)もあり、こちらも先日、読了した。『右岸』、『左岸』共に上下巻仕様。総ページ数は『右岸』が上下巻で計約800ページ、『左岸』が上下巻で計約1000ページ程もある。4つ重ねあわせると普通に辞書よりも分厚くなる(笑)。

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『右岸』を読み終えて思ったのは、これは一人の男の壮絶なるライフストーリーということだった。この小説を読んでいる間、僕はこの小説の主人公と一緒に彼の人生そのものを生きたように感じた。

 

それでは以下、箇条書きで思ったことをつらつらと書いていく(ネタバレしています、未読の方ご注意ください)。

 

生きることを噛み締められる爽やかな最後(文庫版『右岸(下)』416ページ)

このたった1ページを読むためだけに、800ページを読み進めてきたと思っても惜しくない。このページを読んだ時、それくらいの大いなる感動に包まれていた。
ああ、生きているのだ。この小説の主人公は様々な苦難を乗り越えて、年をとって、でも、まだ、この瞬間を生きているのだ、と。それを考えた瞬間、なんとも言葉にならない、泣きたくなるような、けれど決して悲しくなんかない、さわやかな感情が僕の脳内を駆け巡った。気が付くと腕に鳥肌が立っていた。心が大きく震えた瞬間、言葉をずっと目で追ってきたにも関わらず、言葉では表現できない気持ちを得ることができた。これまでいろいろな小説を読んできたけれど、このような感覚になったのはずいぶんと久しぶりで、小説はやっぱり捨てたものではないと感じた。

 

特殊な力を持った人

この小説の主人公は、特殊な力を持っている。他の人が持っていない力を持って生まれた彼は、注目をされ続け、そのために傷つき、やがて望んでもいないのに神聖化されたりする。でも、彼の特殊能力は彼の一部を表してはいても、彼の全てではない。
特殊能力を持った人はすごい!と安易に考えてしまいがちだが、その当人が抱える気持ちについて想像してみると、案外、苦労も多いだろうと感じた。

 

タイトルの割にはパリのシーンは少ない

この本を読む前はタイトルだけ見て、パリが舞台だろうと推測していたが、実際はそうではなかった(「右岸」というのはパリを流れるセーヌ川の右岸のことを指すのだと予想できたから)。一時的にパリが舞台にはなるがメインは日本の福岡である。

 

想い続ける人と決して結ばれないこと、その先にある関係

『右岸』での主人公は『左岸』での主人公の女性、茉莉のことがずっと好きだが、決して結ばれることはない。
それに対して、『左岸』では『右岸』の主人公である九は、あくまで茉莉の兄の友人という視点で描かれている。茉莉にとって九は恋愛対象ではなかった。でも、九は茉莉のことが好きで大人になっても年をとっても最後の最後まで茉莉のことが好きなのだ。

セーヌ川を挟んだ右岸と左岸。右岸に九が、左岸に茉莉がいる。川を挟んでいるから決して交わることはないけれど、いつでもそばにいて、向き合っている。

九と茉莉は別々の人生を生きる。けれども、最終的には同じ場所に帰ってくる。お互いに相当の歳をとって。その時の関係がうまく言葉に出来ないけれども、素晴らしいと思った。
恋愛感情ではない、もっと大きくて広くてあたたかい関係。一人の人間として、二人は互いに惹かれ合っていた。こんな関係を築ける人と出会えたこと、それはとてもとてもしあわせなことだろう。

 

ラブストーリー?いやライフストーリー

この小説はラブストーリーであるかとおもいきや、そうではないと思う。もちろん恋愛の話も含まれているけれども、幼少期から青春期、大人になり結婚、別れを経験し、やがて年老いていくまでを描いた人生の話だ。『右岸』を読めば九という男の、『左岸』を読めば茉莉という女の一生について知ることができる。『右岸』だけでも『左岸』だけ読んでも十分楽しめるが、両方読めば、もっと楽しめる。

 

生きていくということ

今年31歳になった。振り返ってみれば色々なことがあったと思う。31歳という年齢は人生を振り返るには早過ぎるだろうか。けれど、ふとした瞬間に、なかば呆然とするのだ。時が経つことの平等さと残酷さに。すでにちらほら白髪もあるし、体調を崩してもなかなか治らなかったり、運動しないとすぐにお腹にお肉がついたり、そういったことが僕の身に起こっているのだ。時が過ぎるのは早い。僕はまだ20代のつもりで毎日を過ごしている(笑。でも、確実に僕はもう31歳で、友人は結婚していたり子どもがいたり、会社では部下がいたり、そんな年齢だ。
年齢で自分のことを定義されたくはないけれども、とはいえ、「時」はこの瞬間も過ぎていく。幼いころ、父親と母親は最初から大人であり、父と母であった。だが、彼らにも当然のように子供の時があったのだ。それを頭ではわかっていたのに、きちんと心で理解できたのはつい最近のことのように思う。父親と母親は、僕が生まれる前は彼氏彼女の関係であったはずで、彼らが出会う前は(僕にとっての)祖父母の子であったはずだ。

 

思えば人生とは変わっていくことの連続なのだ。同じ日なんて二度と来ないのだ。今日と同じ空は二度とない。今日の自分は今日だけに存在していて、今日、感じた想いは今日だけのものだ。変わっていく。万物はすべて流転していく。
その中で、「信じられるもの」は一体何なのだろうか。いろいろな出来事によって、人は簡単に他者を裏切りもするこの世界で、騙された方が悪いという考えがいる人のなかで、一体、何を信じられるというのだろう。
その答えは、多分、ひとつだけだ。そして、これこそが「人が生きていく」ということの理由になるのだと思う。この本を読み終えた時、ふと答えがわかった気がした。

右岸 上 (集英社文庫)

右岸 上 (集英社文庫)

 

 

右岸〈下〉 (集英社文庫)

右岸〈下〉 (集英社文庫)

 

 

左岸 上 (集英社文庫)

左岸 上 (集英社文庫)

 

 

左岸〈下〉 (集英社文庫)

左岸〈下〉 (集英社文庫)