元はただの石ころ

「確かなのは過去でも未来でもなく今」とわかっているけれど、そう簡単に割り切れない奴の日常

亡くなった祖父への手紙

母方の祖父が一昨日、突然亡くなった。84歳だった。
祖父にはつい先月、祖母の納骨式で会ったばかりだった。その時は元気だったので、驚いた。
会社で仕事をしていたため、課長に祖父が亡くなった旨を伝えて、仕事の引き継ぎを依頼し、残業をし、僕は23時に会社を出た。

昨日、慌ただしく喪服などの準備をして新幹線に乗って帰省した。静岡駅には父が車で迎えに来ていたので、そのまま、祖父の自宅に行った。祖父は、たしかに亡くなっていた。安らかな顔であった。
昼ごろに着いたので、近所の中華料理屋に行き、チャーハンを食べた。幼いころ、僕はここのチャーハンが好きで、祖父宅に泊まった時などはよく食べていた。その頃と味は変わっていなくて懐かしい気持ちになった。

帰宅して、改めて祖父の顔を見ていると、色々なことを思い出した。実家と祖父の家は車で30分程度の距離にあるので、よく遊びに行った。祖父は僕や弟が小さい頃、怪獣やウルトラマンの人形で遊ぶのに、いつまでも付き合ってくれた。だから僕は彼のことが大好きだった。

色々と準備をしていた際に、母から「じいじへの手紙書く?」と聞かれたので、うん、と答えた。以前、父方の祖母がなくなった際、孫代表の言葉として手紙を書いて読んだ経験があるが、今回は弟がやるので、自分の場合は単純に祖父にだけ読んでもらう最後の手紙になる(火葬前に棺に入れる)。

 

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我が家では母方の祖父母とは頻繁に交流があった。そのためか、母方の祖父母のことは「じいじ」と「ばあば」と昔から呼んでいたので、手紙でもそう書くことにした。せっかく書くのに、きっと、じいじにしか読まれないと思うので、恥ずかしながら手紙を公開してみようかと思う。
*極めて個人的な内容で思いつくままに書いていますので冗長です、すみません。

 


じいじへ

お母さんから「じいじが今朝、突然亡くなった」とメールが来たとき、自分は信じられなかったよ。だって、先月のばあばの納骨式でも元気だったよね?納骨式後、昼食を一緒に食べた際も、お酒を飲んで楽しそうにしてた。その後、じいじが運転する車のバッテリーが上がったって言って、修理しに行ったよね。あの日も暑い日で、カンカン照りの中、汗をたらしながら父が頑張ったけど、月に数回しか乗ってないからか、結局、修理できなかったよね。
そういえば、最後にちゃんと会話したのって、車の修理をする前にオートバックスかどこかでバッテリーの修理機器を買った時だったかもしれないね。ちょうどドライブレコーダーの売り場のところにいてじいじが「これは何だろ」って僕に聞いたから、僕はドライブレコーダーの説明をした。じいじは関心した様子で「へぇ、進化してるなぁ」って言ってたよね。僕は「そうだね」と答えた。修理してた時も一緒にはいたけど「暑いねぇ」なんて言ってただけだった。別れ際、特に挨拶もしなかったかな?よく覚えていないけど、まさかこれっきりなんてその時は思わなかったな。じいじもそうだったのかな?

じいじには、言いたいことがたくさんあるんだ。でも全て書いていたらきりがないし、じいじも疲れちゃうと思うから、2つだけにしておくね。

一つ目。
小さいころ、怪獣の人形で遊んでくれたりしたこと、ずっと嬉しくて楽しくて、今でもすごく感謝してるよ。その当時はね、それが当たり前に思っていたけれど、自分が大人になった今思うと、幼い僕と弟に合わせて遊ぶのは色々大変だったんじゃない?覚えているよ。じいじの優しい声。「こいつのぉ〜」と言いながら楽しそうに怪獣を動かしてくれたこと。僕達の目線と同じ位置で話をしてくれて、遊んでくれたあの時間。永遠に続けばいいと心から思ってた。本当にありがとう。

二つ目。
ばあばとはずっと仲良しだったよね。ばあばは、なんだかんだ言いながら、結局じいじのことが好きで、じいじもそれは変わらなかったよね。ばあばが転倒して足を痛めてから徐々に寝たきりになってしまっても、しばらくの間きちんとばあばの介護をしていたじいじ。そのことを苦しいと言ったことなんか無かったよね。さも当然のように介護していたと思う。でも、ばあばが亡くなってからは、ずっとどこか寂しそうだったよね。
大好きな人で、愛した人で、ずーっと一緒に暮らしてきた人がいなくなった世界は、どんな世界だったんだろう。じいじは、それでも僕達の前では気丈に振舞っていたから、僕はじいじの気持ちをあまり意識してなかった、ごめんよ。本当は寂しくてたまらなかったよね。辛かったよね。お疲れ様でした。
じいじが亡くなって、お母さんがぽろっと言ったんだ。「ばあばが淋しいから(じいじを)連れてっちゃったのかもね」って。それって当たってた?今は、ばあばと一緒にいるの?一緒だよね、きっと。二人でこれからも仲良しでいてください。

最後に。
これは言ったことがないと思うけど、大学生の頃にね、じいじの懐の深さと優しさにふと気付いたことがあったんだよ。じいじってすごいなって。その時から僕はじいじのことを尊敬する人として見るようになった。実際に就職活動した時もね、面接で「尊敬する人はだれですか」と聞かれて迷いなく、「母方の祖父です」って答えたよ。

そんな自慢の祖父だったんだよ、じいじは。突然過ぎて、言えなかったことだから、ここに書いておくね。そういえば、じいじ、食べることが大好きだったよね。でも、年をとって歯が無くなってしまって入れ歯になってからは、美味しく食べれない、って言ってたね。だから「歯はたいせつにした方がいいぞ」ってしみじみ言ってくれたよね。じいじに言われて、すごく説得力があったから、半年に一度歯の検診を受けてるよ。小さなことだけど、ありがとうね。

僕がじいじに影響を受けている部分って、とても大きいと思う。じいじが亡くなったということは、もうこの世界にはいないんだよね。正直、まだ実感できていないよ。お葬式が終われば実感できるのかな。でも、僕はきっと泣くと思う。じいじがいないってやっぱり寂しいし、悲しいから。いろんな楽しかった思い出が溢れてきて、そのどれもこれもが楽しくて輝いていて良い思い出ばかりだから。
でもね、じいじは今、ばあばとやっと再会出来てしあわせなんでしょう?だったら、それで良いよ。僕がそちらに行くのはいつになるかはわからないけれど、その時が来たら、この手紙を読んだか真っ先に聞きたいよ。そして、僕のじいじでいてくれて、ありがとう!って心から言いたいよ。

乱筆乱文でごめんね。じいじ、さよならは言わないよ。悲しすぎるからね。じいじ、ありがとう。またね。