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元はただの石ころ

「確かなのは過去でも未来でもなく今」とわかっているけれど、そう簡単に割り切れない奴の日常

パンプキンエッセイ大賞予選落ち、公開恥さらし作品「あなたを変えた言葉」 【字数】 1600字以内(400字詰原稿用紙4枚以内)

考える

パンプキンエッセー大賞 応募 作品


 中学1年の時、新学期が始まったその日は、弁当持参だった。担任教師は言った。

「今日は天気がいいから、各自、好きな所で食べていいぞ」 

 僕が通っていた中学は、校舎のすぐ隣に木々が植えられた中庭があり、クラスメートの大半はそこで仲の良い者同士、弁当を食べていた。元々、引っ込み思案でおとなしい自分は、誰にも声をかけることができないでいた。

 けれど、このまま1人で弁当を食べることは避けたかった。なぜなら、これから一年間はこのクラスメート達と一緒にいることになるのだから。僕は近くにいた男子生徒二人に「僕も一緒に食べてもいいかな?」と言った。僕は、その日、初めて学校で声を出したので、それは吐息が漏れたような小さなものでしかなかった。だから、彼らのうちの1人に「え?」と、けげんな顔で聞き返された。僕がもう一度同じことを言うと、彼らはすぐに、「いいよ」と言ってくれた。けれど、弁当を食べている間中、僕は何もしゃべることができなかった。彼らは同じ小学校だったらしく、それまでも仲が良かったようで、二人だけで延々としゃべり続けた。僕は、彼らの会話の邪魔をしてはいけないと思い、会話の間に割って入ることもできず、ただ黙って弁当を食べた。

 すでにアラサーの僕はまだこの時のことをよく覚えている。この時に感じた「無理をしている」という感覚はその後、大学に入るまでずっと僕の中から抜けなかった。

 僕は、高校生になっても、あいかわらず友人ができなかった。高校に入ってから、最初の一学期は周りに合わせていたけれど、しばらくして、その空しさに気づいてやめた。友人との話を盛り上げるために、好きでもないバラエティ番組を見てその感想を話している自分はやはり「無理をしている」自分でしかなかったからだ。結局、僕は中学、高校の六年間、友人を誰一人作ることができなかった。

 大学の入学式を控えたある日、とある作家のブログを読んでいて次の言葉に出合った。

「昨日の自分と今日の自分が全く違っていてもいい」

 この言葉を読んだ時、「ああ、それでいいんだ」と、素直に思える自分がいた。

 僕はいつでも過去にとらわれていた。自分自身のことを暗い性格で、誰とも関係を築くことができない存在だと思っていた。でも、この言葉は僕に教えてくれた。昨日の自分がどんなに暗い奴であろうとも、今日の自分はまったく別の明るい自分だっていいはずだ、と。高校までの僕は、学校で自分を出せなかったけれど、家族の前では普通に話すことができていた。

 これまでずっと感じていた「無理をしている」という感覚は、自分で自分をこういう者だと規定してしまって、それに縛られていたから感じたことなのだ。

 日々、変わっていく。昨日という過去にとらわれて、今日という今を無駄にしてはいけない。僕は、今を生きているのだから。時には落ち込むこともあるだろうし、うまくいかないこともあるだろう。それはつまり生きているということなのだ。それがつまり生きるということなのだ。

 大学の入学式が終わり、掲示板を確認しに行くと、そこには既に1人の学生がいた。格好から彼も新入生だとわかった。話したいなら話せばいい。昨日の自分と今日の自分は違うのだから。僕はあの言葉を思い出して自分の心を奮い立たせた。

「こんにちは」

 その声は、とても小さかったと思うけれど、その彼は僕を振り返ってくれた。これからの生活はきっと変わっていく、そう思えた。

 実際に、僕にはその後、多くはないけれど、とても仲の良い友人ができた。彼らとは社会人になった今でも連絡を取り合っている。

 

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2013年のパンプキンエッセイ大賞に応募した作品。もちろん予選落ち。たしか、当時、このエッセイ大賞に応募したことをこのブログで書いたら、「読んでみたい」という奇特な方がいらっしゃったように記憶しているので、恥さらしで公開してみる(もしかしたら自分の妄想だったのかもしれないが)。

 

我ながらひどくて呆れ返るけれども、最近は文章もとんと書いていないから、まだこの頃のほうがマシだったかもしれない。

春が来るたび思うこと 「3.11」あの日わたしは

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