元はただの石ころ

「確かなのは過去でも未来でもなく今」とわかっているけれど、そう簡単に割り切れない奴の日常

【後編】あの人は富士宮にいて、僕は東京にいる。

前編はこちら。 

motoishirei.hatenablog.com

 

誘い

「あ、そうだ」とあの人は突然思いついたように言った。

「お願いがあるの」とあの人は僕の目を見て言う。

「なになに」と僕はアルコールの勢いで軽く答える。

「観覧車」

「え」

「一緒に観覧車に乗ってくれませんか」

 

2ヶ月程前に、ここから車で15分ほどのところに観覧車ができたという。それは高速道路のパーキングエリア内にできたものらしい。ただし、高速道路に入らなくても観覧車に乗ることはできるとのこと。

あの人は先日、日中に子供と一緒に乗ったとのことだったが、夜は乗ったことがなく、もしよければ、この後一緒に乗ってくれないかと言った。

僕はなんだかよくわからなくなった。

 

「僕と一緒で良いの?」

恋人同士でもない友人同士が夜の観覧車に二人で乗るなんて、そんなことがあっていいのだろうか。

「私が前にあなたに会いに行った時、横浜で一緒に観覧車に乗ったでしょう。あの時の景色がとてもきれいだったから、また一緒に見たくて」

 

過去の記憶

たしかにそんなことがあった。新卒で僕は横浜の会社に就職した。それを機に僕は静岡の実家を離れ、横浜で暮らし始めた。入社して1年ほど経った頃、あの人に久しぶりにメールを送った。

「横浜に遊びにこない?久しぶりに色々話もしたいし。横浜も案内するよ」

当時、あの人は既に現在の旦那と付き合っていて、僕の入る余地はまったくなかったけれど、僕はあの人とまた会いたかった。

「少し考える時間をください」

1週間ほどして返信が帰ってきた。

「……ご迷惑でなければお願いします」

 

あの人が横浜に来た日。僕達はいわゆる定番の横浜デートコースを巡った。中華街を歩き山下公園に行って肉まんを食べた。空は晴れ渡り、カモメの鳴き声や行き交う人の喧騒に包まれていた。その後、赤レンガ倉庫を冷やかし、ワールドポーターズのフードコートで休憩した。外に出ると既に陽射しが夕日に変わり始め、空の色がゆっくりと赤く染まり始めていた。僕は待ってましたとばかりにあの人に言った。

 

「観覧車乗ろうよ、ネットで割引券ゲットしたから」

 

今考えるとダサいけれども、こんな言い方で僕はあの人を観覧車に誘った。

 

観覧車を待つ行列は十人程度だったので、すぐに僕たちの番になった。二人で向かい合わせに座った。僕は景色を眺めながら、高いね、とか、人ちっちゃいね、とか呟いていた。あの人がそれに合わせて、ホントだね、と心から言ってくれているのがわかって嬉しかった。あの人の言葉はいつだって嘘がなく清らかだ。ただ時折、観覧車から入るすきま風の音がなんだかちょっと怖かった。

「そっち行っていい?」

僕がそう言うと、あの人は少し困った顔をした。でもすぐに、

「あ、こっちからの景色も見たいよね」と言ってくれた。

 「そうそう、視点を変えれば景色も変わる」とか都合の良いことを言って僕はあの人の隣りに座った。けれど残念ながらこの先の記憶が曖昧だ。僕は結局、あの人の手を握ったのだろうか。否、多分そんなことはしていない。ただ隣りに座って、あの人と近い視点を共有できただけで、満たされた気分になっていたのだから。もちろん、現実はそんなうつくしい感情だけではなく、あわよくば手を繋いだりはたまた偶然を装って寄りかかってみたり、そんなことを妄想していたとは思うけれど、そんな勇気もなく、またそれをすることによってその場の絶妙な雰囲気を壊す方が怖くて、僕は結局ほんの少しもあの人に触れること無く観覧車を降りた。

 

 現在

あれからもう10年近くが経ったのだ。 

そして、今度はあの人が僕を観覧車に誘ってくれた。

 

居酒屋で話が盛り上がり、観覧車に着いたのは終了10分前だった。走ってなんとか間に合って観覧車に乗ることができた。

高速道路の照明と車のヘッドライト、そして遠くに見える富士の街の明かり以外は特に光もなく、どちらかというと闇の黒の方が目立つ眺めだった。けれど、僕はあの人と再びこうして観覧車に乗っているこの瞬間を想った。僕とあの人は物理的な距離も去ることながら、精神的にも一時はかなり遠くに離れていた。それはあの人が結婚をして子どもを育てていて、僕自身は独身だということも関係しているし、僕の想いはあの人に伝わりはしても、受け止めてくれはしても、その先は何も無いということがわかっているからだ。

そんなことを考えていたら、なんだかずいぶんと切なくなってしまった。

 

音楽を聴いて

観覧車を降りて、あの人は僕が今夜泊まる富士駅の近くのビジネスホテルまで送ってくれた。その車内で、当時僕がよく聴いていたRADWIMPSのアルバムをあの人はかけてくれた。これはもう反則技だ。このアルバムは、僕があの人におすすめしたアルバムだ。

RADWIMPS4~おかずのごはん~

RADWIMPS4~おかずのごはん~

 

 

それを10年経った今、あの人の車の中で聴けるなんて思ってもいなかったのだ。僕はもう何も喋ることができなかった。

ただ、カーステレオから流れるその音楽を聴いた。あの人と一緒に過ごした日々が、アルバムをめくるように浮かんでは消えていった。あの人が隣にいるというのに随分と距離が離れてしまったような気がした。

でも、こんなしあわせなことはもうきっと無いのだ。僕の旅は終わりに近づいていた。

 

また離れていく

車がビジネスホテルの前に着いた。

「今日は忙しい中、会ってくれて本当にありがとう」

僕は右手をあの人に差し出した。あの人は微笑みながら、

「こちらこそありがとう。あなたに楽しんでもらえたなら私も嬉しいです」と言って左手で僕の手を握った。

僕はしばらくその手を離したくなくてじっとしていた。あの人も自分から手を離そうとはしなかった。言葉はなく、RADWIMPSの音楽だけが僕らの間を流れていた。多分、時間にしたら5秒ほどだっただろうけれども、1秒が何百倍にも引き伸ばされたかのような濃密なひとときだった。

 

「またね、また絶対会おう」

そう言って僕の方から手を離した。これ以上、あの人を待つ家族を心配させてはいけない。僕は手を振ってあの人の車を見送った。あの人の車が角を曲がり見えなくなると辺りは静寂に包まれた。ああ、ひとりだ。

 

僕はビジネスホテルにチェックインし、部屋に入るやベッドの上に倒れ込んだ。

かなしいとかさびしいとかそういうのではない。

たのしいとかうれしいとかでもない。

言葉にできない感情が僕の心を駆け巡っていた。

いちばんすきになった人とはうまくいかなかった。だとしたらなぜ僕はまだこんなところにいるんだろう。そしてなぜいちばんではない人と付き合ったり別れたりを繰り返しているんだろう。

 これ以上考えられなくて、僕は目を閉じた。

 

翌朝、チェックアウトしてすぐに富士駅へ向かい、富士宮駅行きの電車に乗った。日曜の朝、電車は貸切かのように人がいなかった。のんびりと富士宮へ向かう車内に太陽の光があたたかく降り注いでいた。こんなにしあわせな光景が目の前に広がっていても、結局僕は一人なのだと思った。

 

富士宮駅に着いた僕は、昨夜あの人が勧めてくれた浅間大社に向かった。道中でコンビニに寄って、飲むヨーグルトを買った。あまったるいヨーグルト飲料が僕の身体に染みていくのを感じながら、僕は歩いた。

 

浅間大社に着いて形だけのお参りをして、その脇にあった湧き水がきれいな池を眺めた。何枚かの写真を撮ってはみたが、それが本当に撮りたかったものなのか、見たかったものなのかもよくわからなかった。僕がここに来た目的はあの人が勧めてくれたからだけれど、あの人は今、僕の隣にいない。その不在感が僕の心を満たしていた。

 

 しばらくして高速バスの時間になったので、駅前にあるバス乗り場に向かった。また離れていく僕とあの人の距離。もう近づくことはないかもしれない。

 

富士宮と東京の距離148km。でも、心の距離はきっともう少し近いはずだ。

いつかまた会える。そう信じて、僕は今日も東京に生きて、いる。

 

※8割ノンフィクション、2割フィクションの物語