元はただの石ころ

「確かなのは過去でも未来でもなく今」とわかっているけれど、そう簡単に割り切れない奴の日常

理想の友について

今月の前半、2週間前後、ほぼアパートに引きこもって生活していた。それは先月、1ヶ月間のヨーロッパを旅したことに対する反動だった。

 

motoishirei.hatenablog.com

 

僕は来月35歳になる。もう35歳か。自分の年齢がただ信じられない。そして、この歳になってまた来月無職になることも信じられない。小学生の自分に言ったらさぞや驚くだろう。

 

ヨーロッパ一人旅で感じたこと。

アパートに引きこもって感じたこと。

これらには共通点があった。それは、「感情を共有できる人がいることの嬉しさ」である。

僕は基本的に一人でいることを好む。集団で何かをするということは苦手だ。黙々と一つのことをこなすことが好きだ。けれど。一人旅や引きこもって気づいたのは、自分の感動を誰かと共有したいという気持ちを自分が持っているということだった。きれいな風景を見たとき。美味しいものを食べたとき。そんなときは、自分の大切な人にその風景を見せたいし、美味しいものを食べてもらいたくなる。

言葉にすると至極まっとうな人間の自然な思いのようにも感じられるけれど、そんなことに今更ながら気づいた自分は愚かだろうか。

 

小学生の頃、友だちがたくさんいた。中学、高校はほぼ友だちがいなかった。大学では数少ない友だちがいた。社会人になって同期で何人か気の合う友だちのような人がいた。でも、現在は友と呼べるような人は2、3人となった。彼らと会ったり連絡をとったりするのも数ヶ月に一度。でも、この事自体はそんなに深刻だとは思わない。上辺だけの友は要らないから。

 

大人になればなるほど、友だちは少なくなった。大人になって新しくできた友だちもいた。けれど、多くの人とはなぜだか自然消滅的に離れてしまった。理想の友なんて題名で書き始めたことを後悔している。それでも、現時点で自分が考える理想の友を箇条書きで書いてみたい。

ここに挙げた内容を全てを兼ね備えている人がいるとは思わない。少なくとも1つでも当てはまっていれば、それは僕にとっての理想の友だ。厄介なのは見た目ではこれらの要素はわからず、しかも、仮に知り合ったとしてもすぐにはわからない点が多いこと。

 

  • 心の「痛み」を理解し、相手の立場に立てる人
  • 言葉が全てではないことをわかっている人
  • 声が小さい人(怒鳴らない人)
  • 本(小説)を読むことが好きな人

 

もっと色々とあるかと思ったが、思いついたのはたったの4つだった。あまりにもあっけないのでそれぞれに少し補足したい。

心の「痛み」を理解し、相手の立場に立てる人

日々、色々な出来事がある。その中で気持ちが落ち込んだり、どうしてもやる気が起きなかったりすることもある。そういうときは心が痛んでいるのだと僕は思う。その際に、「気にするなよ」とか「これからはもっといいことあるよ」と言う人がいる。彼ら、彼女らはその人の心の「痛み」に寄り添えていない。辛い時、苦しい時に必要なことは純粋なる共感だと思う。「そうなんだね」と共感する。それだけだ。当人の苦しみや悩み=痛みは、その当人にしか本当の意味で理解できない。このことを理解した上で、「辛い」と言ったら「辛いんだね」と返す。相手の気持ちに、「痛み」に共感し、理解できる人。

 

言葉が全てではないことをわかっている人

たとえば、「好きだ」と言う。その言葉だけを捉えれば「好意を持っている」ということは伝わる。けれど、それだけではない。その言葉に隠されたもの。もっと言えば、言葉にならない想い、気持ち。そういったものが人の感情にはきっとある。言葉の限界を知っていて、それを知った上で会話ができる人。

 

声が小さい人(怒鳴らない人)

僕自身の持論でしかないが、声が小さい人に悪い人はいない。きっと声が小さいのは自分に自信がなかったりする人が多い。でも、そういう人こそ僕は愛おしい。自信にあふれた人はもちろん素晴らしいけれど、相手の事を考えて、「大丈夫かな」なんて気持ちを配りながら、小さな声で話す人。そういう人こそ僕は本当に素晴らしいし、友だちになりたいと思う。

 

本(小説)を読むことが好きな人

ありきたりな内容だけれど、僕自身が本(小説)を読むことが好きだから、これは単に趣味が合うということだ。でも、本の中でも小説に限定したのには理由がある。小説というのはフィクションで本当の話ではない。でも、だからこその面白さがある。人間の想像性から生まれる作品で、心を大きく動かされ、時にはその人の行動や生き方まで変えてしまう。僕は幼い頃に読んだある児童書の内容を今でも覚えていて、その舞台となった場所へ先日のヨーロッパ一人旅で訪れることができた。その時、僕は言葉に出来ないくらい満たされた気持ちになった。たかが物語だろうと馬鹿にする人にはきっとわからない世界がある。

 

ここまで書いてきて、単に「友」としてだけではなく、こういう人たちが周りにいたらいいなという気持ちなのだと気づいた。そして、こういう人に自分がなりたいという理想の自分像という面もある気がしてきた。というわけで、タイトルからは逸れてしまったが、気持ちの整理ができたので良しとしよう。

平成家族 理想と現実の狭間で揺れる人たち

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