元はただの石ころ

「確かなのは過去でも未来でもなく今」とわかっているけれど、そう簡単に割り切れない奴の日常

【読書感想文】『一日一生』(酒井雄哉)

一日が一生だと思って生きる

この本は、千日回峰行を2度行った偉いお坊さんが書いている。
ちなみに千日回峰行とは何かというと、標高差1300メートルを超える道を往復約50キロ、5月~9月の間、毎日一人で歩くこと。千日というのは、9年間毎年歩いてトータルで1000日ということで、その総距離は4万キロ、地球一周分。

一日50キロ普通に歩くだけでも相当に大変なのに、それを毎日、しかも1300メートルを登って下りる。

並大抵の覚悟ではできない。

それなのに、このお坊さんは、生涯に二度行った。

 

この人の存在を初めて知ったとき、「この人は一体どんな超人なんだろう」とただ、驚いた。圧倒的すぎて、普通の人ではない、と感じた。けれど、この本を読んで、さらに驚いた。とても自然体で、気さくそうな印象を受ける、普通の人に感じたからだ。

元々、お坊さんの家系などではなく、ある転機によって、39歳のときに比叡山の僧侶になった。僧侶になる前は、勉強もできず、仕事に就いてもすぐに辞めてしまったりするような人。しかし、彼は僧侶になってからはとても優秀だったらしい。僧侶になることが彼にとって、とても合っていたのだと思う。

 

この本を読んで思ったことを書いていきたい。

 

今、生きていることの素晴らしさ

人間にとって生きるということはある意味、当然すぎることだ。人はだれ一人として、この世に生まれてきたい!と思って生まれてきたわけではなく、気がついたら、この世界に生まれてきて、今を生きている。だから、その尊さを普段はあまり意識することはない。

今朝、目が覚めたときに「ああ、今日も目が覚めてよかったな。また新しい一日が始まるんだな。」と何人の人が考えただろうか。

 

この本のタイトル「一日一生」。今日一日が自分の一生だと思って生きる、ということ。今日、嫌なことがあったとしても、明日は、また新しい一生が始まる。新しい自分がそこにいる。そう思うと、なんだか心が軽くなる。

 

今日一日が自分の一生だとしたら、今、目の前に見えている風景がとても愛おしく思えてくる。道端に生えている小さな雑草にさえ、その生命力に感動して、涙が溢れそうになる。身近な人を大切にしたくなる。そして、自分自身が生きているという事実に、ただひたすらに感謝したくなる。

生きているということは、とても尊くて、とても素晴らしいものだ、と改めて、思った。

 

自分は、これからどう生きていくのか

この本を読んで、僕は、今の自分の生き方に納得ができていないことに気づいた。今年、30歳になったけれど、まだまだ他人の気持ちを思いやれないことが多く、身近な人を傷つけてしまうことが多かった。相手の言葉の真意に気付けずに、その表面だけをなぞり、なぜそんなことを言うんだろうと考える間もなく暴言を返している自分がいた。
でも、そういうことは巡り巡って結局、自分を傷つける。
自分が誰かを傷つけたということは、自分自身が一番わかっているから。
これまで何度も同じようなことを繰り返していて、いい加減、こんな自分からは脱却したい。
「一日が一生」だとしたら、他者や自分を傷つけるなんてことはできない。

これからは、「一日が一生」だと思って生きていくことにした。

一日一生 (朝日新書)

一日一生 (朝日新書)