元はただの石ころ

「確かなのは過去でも未来でもなく今」とわかっているけれど、そう簡単に割り切れない奴の日常

父方の祖母が亡くなり帰省中

埼玉の所沢から静岡の実家に帰省途中です。新幹線、高速バスが満席だったので鈍行です。本来なら、30日に高速バスで帰る予定だったのですが、今朝方、父方の祖母が亡くなったので、急遽帰ることになりました。

 

祖母は父の兄夫婦と一緒に同じ静岡県内に住んでいましたので、年始の挨拶回りの際に、家族で訪ねていました。
私が幼いころは駄菓子屋を営んでおり、よくお菓子をもらった記憶があります。その駄菓子屋は私が大学生になるころだったか、閉店しました。私が実家を離れた後も、年末に帰省した際には会って話をしました。とは言え、普段一緒に住んでいるわけでもなく、どちらかと言えば母方の祖父母と仲良く遊んでもらっていた記憶があるので、父方の祖母とはどこか他人行儀な感覚は、ずっと抜けませんでした。

 

でも、彼女の話はいつも面白かった。たとえば、まだ若い頃に富士山に登ったことがあるというのです。ただ、その記憶が息子である父にも父の兄にも全くないのです。記憶が食い違っています。でも、祖母は登ったというのです。それも、海抜ゼロメートルの浜辺から日帰りで登ったというのです。いや、それは無理でしょう、とその場の誰もが思い、それを言いました。でも、祖母は頑としてそれを譲らない。「登ったの」とずっと言い張っていました。その言い方は思春期に反抗する少女のようで、なんだか微笑ましかった。

 

祖母は、五年ほど前まで、年末に日本酒を飲むほど、元気な人でした。
先ほどの話にもあるように頑固なところもありましたが、お茶目で笑顔がかわいい人でもありました。その祖母が、五年ほど前、転倒して身体を痛め、病院のベッドで過ごすようになりました。詳しいことはわかりませんが、結局、そのままずっと病院にいるようになり、ここ五年間は、病院にお見舞いに行くという形で会っていました。昨年、会った際には、たしか寝ていたかと思います。話しかけても手を握っても特に反応らしいものはなかったと思います。病院に入院した当初こそ、簡単な会話やこちらが話したことに頷くなどできていたと思うのですが、次第に反応もなくなっていってしまいました。

だから、どこかでいつか、その日は来るだろうと思っていました。
でも、あまりにも急でした。昨夜突然の危篤。そのまま今朝方、亡くなりました。

まだ、全く実感はありません。これから徐々に感じていくのだと思います。