元はただの石ころ

「確かなのは過去でも未来でもなく今」とわかっているけれど、そう簡単に割り切れない奴の日常

他者との関係を続けるということ

毎日、iPhoneやMacBook Airでメールやらネットチェックしている。

それを今朝起きてから昼まで、やめてみた。
すると途端に「1人」が意識されるようになった。


自分には、iPhoneやMacBook Airが無くなったときに(つまり自分からの連絡手段がなくなったときに)、両親以外に本当の意味で心配してくれる人は一体何人いるのだろうか。多分、今のところ誰もいない。

 

先日、ニュージーランドに留学してたときに知り合った友人と二年ぶりくらいに会った。彼は、僕より一回り上の歳だけど、ニュージーランドでは同じ語学学校のクラスメートということもあってかすごく仲良くなって、お互い親友だと思っていた。けれど、久しぶりに会った彼と話すとなんだかしっくりこない。歯車が噛み合っていない感じ。
彼は一昨年結婚しており、来月子どもが生まれるという。


あんなに仲が良かったのに、立場や環境が変わってしまうと、どうしても疎遠になっていく。それは、自分がもっと積極的に連絡を取っていれば少しは違ったのかもしれないけれど、根本的には仕方のないことなのだと思う。
もちろん、これからいくら疎遠になろうとも、ニュージーランドで仲が良かった記憶は一生消えることはないだろうし、それがあるということだけで充分だということはわかる。わかるのだけど、なんというのか、「変わらないものなんてない」という至極当然な感想を抱いてしまった。

 

大学の時に一番仲良かった友人がいる。彼は、大学を卒業後すぐに、突然、すべての友人の連絡先を着信拒否にした。それから、ずっと消息が知れない。生きているのか死んでいるのかもわからない。彼が連絡先を拒否した後、知らずにメールして、メーラーデーモンですぐに返信が来た(つまりそのメールアドレスは存在しない)際のことは、今でも鮮明に思い出せる。もちろん電話もかけてみたが駄目だった。実家の連絡先もわからないし、他の友人全員に尋ねたけれど、皆、口を揃えて「連絡できなくなった」と言った。
この出来事は自分にとってかなりのショックだった。なんでだろうと何度も考えた。でも理由が全く思い浮かばず、ただ途方に暮れた。

 

元々、人付き合いは苦手な方で、自分に自信もなくて、中学高校と友人が一人もいなかった。大学では仲のいい友人はできたが、一番仲が良かった友人は先ほど書いたように連絡できず、その他の仲が良かった友人もみんな卒業して住む場所がバラバラになり、連絡も疎遠になりそれっきり。

 

他者との関係をずっと保っていくのは、とても難しい。とても仲良くなっても、ひょんなことから突然連絡が取れなくなり、それっきりということがある。本当に大切だと思うなら、こまめに連絡を取り合い続けることが大切なのだと思う。

 

まぁ自業自得といえばそれまでなのだけど、30歳の今、ほんとうの意味での友人がいない。恋人もいない。
「まだまだこれからいくらでも作れるよ」と言われそうだし、言われたら、「そうだよね」とは返すと思うけど、「友達になってください」、「付き合ってください」と言っても「はい、いいよ」とは、なかなかならない。まだ学生なら話は違うと思うけれど。気持ちは学生のままなんだけど、そういうのは通用しないのはわかってる(通用する方はご連絡くださいオールウェイズウェルカムです)。

 

みんな、もう結婚してるのが普通かもしれない。数年前、たしか自分が27歳くらいの頃だったと思うけれど、実家に帰った際に、小学生の時によく遊んだ友人とばったり再会した。彼は携帯の画面を僕に見せた。待ち受け画像は自分の子どもだった。

 

何なのだろう。後悔は、ない。

友人や恋人が絶対いなくてはいけないとは思わない。自分にとって必要ないと思えるならそれでいい。でも、僕は今、友人がほしい。恋人がほしい。ただの寂しがりやだと言われたらそれまでだけど、なんだか、これからずっと1人な気がして仕方がない。こんなこと言ってる暇があったら出会いの場を探せ、作れ、ともうひとりの自分が言う。でも、そんなの無理だろお前には、というもうひとりの自分もいる。

 

結局、何が言いたかったかというと、現在、友達、恋人募集中ってことです(笑。

 

手にとるように心理学用語がわかる本―“自己”と“他者”の関係を探る (手にとるようにわかるシリーズ)

手にとるように心理学用語がわかる本―“自己”と“他者”の関係を探る (手にとるようにわかるシリーズ)