元はただの石ころ

「確かなのは過去でも未来でもなく今」とわかっているけれど、そう簡単に割り切れない奴の日常

【読書感想文】終わりまであとどれくらいだろう( 桜井 鈴茂 )

桜井鈴茂という作家のこの本、数年前からずっと気になっていた。けれども、一度も読んだことがない作家のため、なんとなく購入まで至らずそのままとなっていたが、この度読了。

読んだ感想を一言で言えば、「リアル!きつい!でも心が動かされた」

 

 

つい手に取りたくなるタイトル

僕は小説を読むことで日々をなんとか生きている。そのため、常に新しい本が自宅に積読となっていないと不安になるので、よく書店(古書店含む)に行って本を買う。その際に、本を手に取る基準は、「面白そう」とか「為になる」といったことだが、それに加えて「生きること」について書かれている内容についつい手が伸びてしまう。

「そんなん全てやん、全てが生きることに繋がるやん」とか言われるとその通りなのだけれど、もう少し突っ込んで説明させていただくと、「生きることについて悩みながらもなんとか頑張って生きている人たちの日常を書いた小説」という括りである。

というわけで、前置きが長くなったが、この小説のタイトルである。いかがであろうか。終わりまであとどれくらいだろう。この「終わり」が何を指すのかは、タイトルだけではわからないけれども、「終わり=死ぬこと」なのかなぁと薄ぼんやりと感じた。それはもう直感のようなものだったけど、気がつくと僕はこの小説を手に取っていた。これはきっと(僕にとって)面白い小説であるに違いない。裏表紙の書籍の説明を読んでみると、なかなかぶっ飛んでいた。

 

2003年4月5日。桜が咲き乱れる東京を、6人の男女がさまよっていた――。子猫を隠れて飼うロッカー、恋人との別れに怯えるレズビアン、セックス中毒の経営コンサルタント……。破格のスタイルとドライヴ感溢れる文章で、人間の純粋さと弱さ、痛ましい希望を描いた現代日本文学。「アヴェ・マリア」も併録。

 

正直、購入をちょっと躊躇した。内容についても去ることながら「破格のスタイルとドライヴ感」という文章がひっかかったからだ。読了できるかな、これ、と感じた。過去に小説の文体が自分に合わなかったせいで読了できなかった経験があるので、同じ失敗をしたくなかった。けれども、読んでみたら意外と面白かったという経験もよくあるのでレッツトライ!購入に至った。※実際に読んでみた所、後者でした

 

生きることについての話

東京に暮らす6人の男女の視点が次々と切り替わりながら、話は展開する。彼らの日常は、僕の日常とはずいぶん異なっているけれども、彼らが時折感じる生き辛さ自体はなんだか妙に共感できた。

何気なく過ぎていく日常の中で何とかもがいてあがいて生きているというのに、一向に暮らし向きは上向かない。しあわせを最後に感じたのはいつだったのか、それさえも思いつけない。日々は日常は常に続いていき、止まることがない。

 

考えるべきか、忘れ去るべきか

この小説を読んでいて、ストーリーの展開というよりも、登場人物が日常で感じる思いに心を動かされる事が多かった。少し引用したい。

この広い世の中には本当に想像しがたいほど様々な境遇を生きてる人がいる。楽しんでる人がいる一方で苦しんでる人がいる。有り余ってる人がいる一方で常に不足してる人がいる。手を汚さずに与えられてる人がいる一方で手を汚した上でさらに毟り取られてる人がいる。…(途中省略)…それが世の中ってものだと言われれば、頷いてしまうほかない気分にさせられる……でも……そういうふうに言い切ってしまえるのはいつだって苦しんでいない側の人間だ。

当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、上記を読んだ時、この世界の本質を突いている気がした。きっとこんなこと考えなくてもいいことなんだろう。世界が常に不平等なのは仕方がないことだ。でも、でも、それでいいのかと思う自分もどこかでまだいる。

 

内容はがらりと変わるが、別の文章でとても素晴らしいと思った内容があったので、もう一つだけご紹介したい。

デスクスタンドの明かりを消し、真っ暗になった部屋で目を瞑って頭を垂れて耳を澄ませた。そして思いを馳せた。激しい雨の向こう側にあるはずの穏やかな光の世界に。冷たい夜の向こう側にあるはずの暖かな昼の世界に。

本当はこの後にもう少し文章が続く。

闇の中で光を想像することは難しいことかもしれない。でも、光があることは知っているのだからきっとできる。物事は多面的で、闇だけが全てではなく光もあるしその中間もある。このことをどんなときも忘れずにいたい。

 

解決されない問いに対する答えとは

 「終わりまであとどれくらいだろう」と、人は一生のうちにいつかはきっと考えたりするはずだ。でも、もちろんこの小説を読んだからといってその答えがわかるはずもない。これは解決されない問いだ。病気で余命がわかってしまった人や自殺をする人等以外は普通は終わりなんて誰にもわからない。わからないことは不安だ。怖い。その一方で、わからないことは希望でもある。終わりがわからないからこそ今を精一杯生きるしかない。

最後に、この小説は読みやすいことは読みやすいのだが、性についてやドラッグについての描写も割とあるため、読む人を選ぶかもしれない。でも、僕はこの小説を読むことができて本当に良かったと思っている。この作家の他の作品も読んでみたい。

終わりまであとどれくらいだろう (双葉文庫 さ 29-1)

終わりまであとどれくらいだろう (双葉文庫 さ 29-1)

 

 

今週のお題「読書の秋」