元はただの石ころ

「確かなのは過去でも未来でもなく今」とわかっているけれど、そう簡単に割り切れない奴の日常

ヨーロッパ一人旅が終わった後、その余韻に浸っていたらいつの間にか半月が過ぎていた

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約1ヶ月ほど、ヨーロッパ一人旅に行っていた。

motoishirei.hatenablog.com

 

先月末、帰国。

その後、6月は現職の有給休暇が残っているため、毎日がまだ夏休みのような日々を送っている。帰国してすぐはテンションが高くて何でもできるような気がしていた。しかし、時差ボケを理由に昼寝をしていたところ、そのまま一気に「何処へも行きたくない、何もしたくない」という気持ちが湧いてきた。一人旅中は毎日朝から晩まで外を歩いていたからその反動だろう。そう思い、実際にまだ有給休暇中なのだし特に予定もないからいいかと自分を甘やかし続けていたら、いつの間にか、半月が経過しようとしている。この半月、生産的なことは何一つしなかった。したことと言えば、溜まっていた積読を消化し、アマゾンプライムで毎日映画を見ていた。旅の余韻、読書、映画、食べる、寝る、という繰り返しだった。外出は、スーパーかコンビニに行くときのみ。それ以外はずっとアパートに引きこもっていた。

 

 

現職を辞める決意をして2ヶ月の有給を消化すると決めたとき、最初の一ヶ月は一人旅をすると決めた。その後の1ヶ月については特に予定を決めていなかったが、転職活動をしなくてはいけない、となんとなく思っていた。しかしながら2週間近く上述のように何もしない日々をただ消化した。やっと昨日から転職サイトの情報を見たりハロワに行ってみたりしている。

 

現職を辞めて好きなことを仕事にしようと思った。そして、一人旅に出た。その旅の最中に自分の進むべき道がより一層明確になるだろうと思っていた。しかしながら、その考えは今考えればなんとも浅はかだった。結局の所、自分はただ何もしたくないのだということに気づいた。本屋で働きたいとか、カフェをやりたいとかそんな事を考えていたけれども、今はそんな気持ちがかなり薄れてしまった。というかほぼ無くなってしまった。昔からそうだが、自分はすぐに飽きる。すぐに新しいことに色々と手を出してはしばらくすると、もう飽きた、と言って手を離す。

結局、幼い頃から続いていたことは、本を読むこと、映画を見ること、美術館で絵を見ることといったことだ。好きなことを仕事にする場合、これらに関連がある仕事ということになる。しかしながら、現時点で僕は「好きなことを仕事にするべきではない」という結論に達しつつある。例えば、本を読むことが好きだ。その感想をネットに上げてシェアして、何かを感じてもらえたら嬉しいとは思う。けれど、そこまでだ。それ以上になにかをしたいという欲求はない。自分はReaderではあるが、Sellerにはなりたくない。というわけで本屋もカフェも結局、自分のやりたいことではない。

では、どんな仕事が良いのか。何をすれば良いのか。それを延々と考え続けている。答えが出ない。だから転職サイトを見てもハロワに行っても、「何もわからないし、何も進まない」。

究極的には、「何もしたくない」。前にも書いたことがあるが、理想の生活は「毎日、小説を読んで静かに暮らすこと」。これだけだ。多くのものは何も望まない。広い部屋もお金もいらない。ただ、日々を生活できるだけのお金があればいい。

 

幼い頃の夢を今回の一人旅で叶えてしまった。だからもう満足してしまった。正直、明日死んでしまってもいい。もう思い残すことはない。元々生まれたくて生まれたわけでもないし、これまでも何度も死に接近したことはある。ただ、自分から死ぬのは親に止められているし、彼らを悲しませるのは嫌なので、それはこれからもしないだろうけれど、なんだかすべてがもうどうでもいいと思っている。

仕事も人間関係も「すべて面倒くさい」と思ったとき読む本

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