元はただの石ころ

「確かなのは過去でも未来でもなく今」とわかっているけれど、そう簡単に割り切れない奴の日常

誕生日を祝うことさえもできない(しない)程に時が経ってしまった

先ほど、iMacを立ち上げてブログを書いていた時、通知機能にて「明日は〇〇さんの誕生日です」という通知があった。〇〇さん=彼は大学時代の友人であった。とてもスマート、かつ、誰にでも優しい素晴らしい人だった。現在はロシアか、東欧かその辺りで働いているらしい。彼とはもう10年以上連絡していない。大学のときに連絡先を交換したメールアドレスや電話番号があるにはあるが、それを使おうという気も起こらない。万が一、連絡してみて「この番号は現在使われておりません」となったら、それはそれで悲しい。

現在、35歳。友人が一人もいない。数ヶ月に一度でも飲みに行ったり話したり、そういった人が昨年まではいた。けれども、みんな、結婚したり地元に戻ったりしてしまった。

もう過去を振り返るのは止めた方がいいのだろう。でも今後新しく知りあったとして、そこからまた親しくなっていくまでにどれほどの時間が必要だろう。そんなことを考えるともうずっと一人でいいやと思ってしまう。趣味が小説を読むことで、たまに運動して、美味しいものを食べて、仕事は生活に必要最低限のお金を稼げれば良くて。そんなつまらない人間に誰が興味を持つだろう。こんな晴れた週末の土曜の朝、一人で自宅のパソコンの前に座りただ黙々と文章を打っている35歳の男に何の魅力があるだろう。無い。

かつては自分にも誕生日を祝う相手がいたのだな、と通知機能を見た時、ふと思った。もう彼の誕生日を祝うことは多分ない(できない)。悲しいけれど、自分で撒いた種だ、仕方ない。

時間は存在しない

時間は存在しない