【読書感想文】『水曜の朝、午前三時』(蓮見圭一)
結局のところ、すべてその瞬間のタイミング次第だ、と最近よく思う。あんなに好きだったあの人とうまくいかなかったのは、性格が合わなかったとかそういうこともあるかもしれないけれども、その時の状況、タイミングが悪かった(合わなかった)とも言えるのではないか。仕事の忙しさ、自分自身の価値観(大抵は時と共に変化)、相手の状況……挙げていけばきりが無い。きっとどれか一つではなく、様々なことが絡み合った結果なのだ。
思えば恋愛とは何なのだろう。ある人のことが好きになる。これまで全く知らなかった人と出会い、恋に落ちる。落ちるって何だろう。僕にはよくわからなかった。正直なところ、付き合いたいがために人を好きになることの方が多かった。待っていれば自分の好きな人が駆け寄ってきてくれるようなそんな容姿も性格も持ち合わせていない自分。そもそも自分が大嫌いで死にたいと思っていた日々の中で、ただ救われたいとか癒やされたいために、好きになったふりをしていたのかもしれない。
そんな当時を「若かったな」、と振り返ることができるくらいに歳をとってしまった。今考えると、随分とひどい、つまらない恋愛(と言えるかもわからない)をしてきた。タイムマシンに乗ることができたら、色々と良い方向へ戻そうとするのだろうけれど、結局、うまくはいかないんだろう。
この小説は、大阪万博のホステスとして働いていた直美の物語。大阪万博は自分が生まれるはるか前の出来事で、歴史の一つとしか印象がない。日本は高度成長期で、まだ将来への希望があった時代。その熱量たるやきっとすごかったのだろう。
若さゆえの熱さと大阪万博の熱気が相乗していく。勢い、と、ためらい、の間を行き来しながら、時はそれでも止まらずにある結果を提示する。それは一言で言ってしまえば時代のせいということかもしれない。人はきっと痛みを抱えて生きていくしかないのだ。後悔と共に。