元はただの石ころ

「確かなのは過去でも未来でもなく今」とわかっているけれど、そう簡単に割り切れない奴の日常

【読書感想文】『赤目姫の潮解』(森博嗣)

「私が好きな作家は森博嗣」。

もう10年以上前のことだ。あなたからその言葉を聞いたのは。その日から僕はあなたの好きな森博嗣の小説を読み始めた。そんなあなたとは今、絶縁状態。でもきっと人との出会いなんてそんなものだろう。20代初め。今思い返せばたしかに僕もあなたも若かった。当時はもうこれから先10年以上も生きていくだなんて、想像さえできなかったのに。想像の先に僕は生きている。あなたも多分、そうだろう。LINEのプロフィール画像が子どもの写真にいつの間にか変わっていたのに気づいて、ああ、あなたも生きることを選択したのだなと妙に安心した。僕はただ毎日を本を読むことだけに費やしたい。あなたにそう言った時、「でもそんなのきっとつまらないよ」とあなたが言った記憶があるのだけれど、果たして本当にあなただったか。あなたに似た別の誰かだったかもしれない。そこに真実性がなくても、たいして問題ではないし、誰もきっと気にしない。

どこからどこまでが真実で、どこからどこまでが物語か。物語の世界を作り出したくて、ただ文章を書きなぐってみてもそこにあるのは過去に誰かが書いた何かでそこには僕独自の何かは存在しない。昔とは違って自分のための時間というものが明らかに減った。それはつまり年をとったということなのか。年を取れば取るほど、自由に動けなくなる。若かった頃には気づかなかった。

僕はまだ何故生きているのだろう。あなたはもうここにはいないというのにあなたが好きだと言った作家の本を読んでいる。過去にとらわれているのか。過去しか見ていないのか。今だけを見て生きていくことはきっと希望がなさすぎるから過去を見てしまう。楽しかったことはみんな過去にある。今だってこれからだって楽しいことはあるよ、と言われれば、そうだね、と返す余裕はまだあるけれど、だからって過去の美化された楽しさに叶うはずもない。僕の思考は瞬時にあなたに切り替わって、そのあなたからまた別の何かに切り替わる。そうして僕もあなたもいつの間にか何も無くなって消えていく。残らない美しさだけが、そこに残るといい。