元はただの石ころ

「確かなのは過去でも未来でもなく今」とわかっているけれど、そう簡単に割り切れない奴の日常

【読書感想文】『絶叫』(葉真中顕)の感想は一言で言うと「すごい」

転職活動をしている合間に読んでいた『絶叫』(葉真中顕)。 

総ページ数605ページ(文庫版)という長編なのだが、徹底したリアリティのある描写と様々な伏線が後半にかけて見事に回収されていく文章であっという間に読み切った。先日読み終えた際には、この物語がすごすぎてしばらく何もやる気が起きなかった。それくらいにこの小説の中にどっぷりと浸かってしまった。一言で言ってしまえばこの小説は「すごい」。何がどうすごいのかを書きたいと思ったが、全てを書くことは不可能だ。というわけでただの一感想文ではあるが、できるだけ細かくその理由について書いていきたい。

 

※核心を突くネタバレ有り。未読の方は以下のリンクからポチって本書を読んでからにしていただきたく。

絶叫 (光文社文庫)

絶叫 (光文社文庫)

 

 徹底したリアリティを基礎としてその上に描かれる物語

この小説の魅力は、その徹底したリアリティである。取り上げる題材は実に幅が広い。「孤独死」、「貧困」、「親子関係」、「仕事」、「裏社会」等といったものが描かれており、一つ一つが本当にリアルだ。例えばこの小説の冒頭の時代設定は1970年代であるが、最初にオイルショックの話を入れ、その後、ベビーブーム、団塊の世代……といった現実と同じ出来事を要所要所で描写する。これら現実に起こった内容と同一の出来事を小説に入れ、その上に物語を描くことにより、「実際にありえそうな話」=「リアリティがある」と読者に印象づけることができる。

 

様々な伏線とその回収

この小説では、実に多様な伏線が見られる。その全てを追うことはできないが、気づいた点をここに書いていく。

 

ずんぐりむっくり

神代という6本指を持つ男の表現である。最初は冒頭すぐの金魚すくいのシーン。その後はデリヘル狩りのシーン。後のシーンで出てきた時には驚いた。ずんぐりむっくり=神代はこの小説の重要な登場人物である。しかしながら、この男が登場する金魚すくいのシーンは冒頭4%の位置。その後、彼は登場せずに、次に出てくるのが全体の72%の地点である。え!ここでつながるの!という驚きがあった。

 

孤独死したマンションにいた猫と金魚をくわえた黒猫

冒頭、マンションで孤独死した人が10数匹の猫に食われるというなんともショッキングなシーンが展開される。このシーンとつながるのが、主人公、陽子の買っていた金魚が死に、その金魚を黒猫がくわえて逃げ去るというシーン。この金魚は陽子自身が自分のことのように思っていた金魚だった。ここでは「孤独死した人=陽子(正確には違うけれども)は猫に食われる」=「金魚=陽子は黒猫に食べられる(ことを予期させる)」という点で繋がる。

 

コスモちゃん

「シングルマザーが子どもを虐待死させてしまった」事件を描写する記述があり、その事件は「コスモちゃん事件」と呼ばれている。この事件が起きる前に、瑠樺というデルヘル嬢は妊娠し自身が働いていた店を辞める。その際に、瑠樺は陽子に自身の子供の名前について以下のように言う。

「……『宇宙』って書いて『コスモ』とか」

その後、さらりと「コスモちゃん事件」が起こったと触れている。恐ろしい。

 

ミス・バイオレット

ハーブティーを出す喫茶店を経営しているミス・バイオレット。この人物の正体は本当に驚きだった。ラストまで読んでもう一度このミス・バイオレットの描写のシーンを読み返したのは言うまでもない。というか、読み返さない人はいないであろう。

 

ハーブティー

警察官の綾野がハーブティーをミス・バイオレットの喫茶店で飲むシーン。その後、終盤のシーンで別の店ではあるが「ハーブティー」を飲むシーンがある。後で詳しく書こうと思うが、綾野は陽子と似た部分がある。しかし、陽子は殺人犯で綾野は警察官である。この対比も上手い。人の人生なんてちょっとした運の良し悪し、またタイミングでいかようにも良くなったり悪くなったりするということの暗喩であるように思える。

 

臍の緒

陽子が完全犯罪を成し遂げる上でこの「臍の緒」は重要なキーアイテムとなっている。陽子は橘すみれと入れ替わるために、この臍の緒を使う。陽子は母が住んでいる実家に橘すみれの臍の緒をわざと置いてきた。臍の緒を包んでいた和紙に書かれた言葉さえもそっくりそのまま名前のみ変更して置いておく用意周到さが恐ろしい。

 

弟は金魚

陽子の死んだ弟は金魚の幽霊となって、度々陽子の前に姿を現す。前に書いたとおり、金魚=陽子であるから、弟の幽霊は陽子が作り出したものだろう。ただその割に雄弁と陽子に語るのがちょっと腑に落ちないので、この考えは誤りかもしれない。

 

自然現象

陽子の死んだ弟が何度も陽子に諭すように言う「自然現象」。この言葉は最後、「朝焼けがすみれ色(原文ルビ:バイオレット)」という記述に繋がる。「自然現象である朝焼けの色(すみれ色)=バイオレット=すみれ」ということで、橘すみれを表す。陽子は「橘すみれ」と完全に入れ替わった人生を歩んでいるということがラストで明かされる。

 

女性の生き方についての描写

奥貫綾乃と陽子の類似性

不倫

上司との不倫という点において一致している。

 

母と娘という関係

陽子と母:母は弟を溺愛し、陽子を愛していない。完全なネグレクトではないが、親から興味を持たれない、愛情を受け取りたいのに受け取れないということが、後の陽子の人格形成に大きく関わっている。最後に母親を自らの手で殺すシーンでは、「生んでくれてありがとう」と言葉では言うが、最後まで愛を感じられなかった寂しさがそこはかとなく漂う。

奥貫綾乃と子ども:奥貫綾乃には娘がいたが、離婚している。娘のことを愛することができない。娘を見ていると自分を見ているようでイライラする。ここでも描かれるのは母と娘という関係性である。余談だが奥貫綾乃自身と母親との関係は描かれていないようだ。話が広がりすぎるために意識的に排除したのだろうか。

 

圧倒的なラストの静けさ

エピローグにて、完全犯罪を成し遂げた先に圧倒的な静けさがあるように感じた。それはきっと陽子がずっと願っていたであろう安らげる地に到達したからなのだろう。

すみれという他人として生きていく人生。生まれ変わった陽子に幸あれと不覚にも思ってしまった。あまりにも壮絶過ぎた人生を送った陽子はこの世界から消えた。でも、陽子ーーあなたのことはきっとずっと忘れないだろう。

 

陽子とは誰か

この小説の中で陽子は連続保険金殺人を犯した主人公である。この陽子とは一体誰なんだろうか。私見では、陽子は「この時代を生きてきた私たち」に繋がっていると思う。私たちは誰でも状況によっては犯罪者になる可能性がある。その一歩を踏み外してしまうかどうかはその人自身の責任もあるが、決してそれだけではない。その人の置かれた状況、周囲の人々との関係性、地域性、時代性といったものが複合的に悪い方向へ重なった時、人は罪を犯す。陽子は決して最初から悪人だったわけではない。この小説は陽子の一生を丁寧に描くことで、なぜ陽子が犯罪者になってしまったのかということを解き明かしていく。

 

いろいろと書いてきたが、結局の所、「この小説はすごいので読んでほしい」、「読んだ人とこの感動を共有できたら」と思ってこの文章を書いた。ここまで読んで本書を未読の方はいないと思うけれど未読の方は今すぐにでも読んでほしい。ちなみに、長編はちょっと…と思う方にこそお勧めしたい(読んだら止まらなくなる)。

絶叫 (光文社文庫)

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全く知らなかったのだがドラマもやっていたようでこちらも気になる。

連続ドラマW 絶叫 DVD-BOX

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