元はただの石ころ

「確かなのは過去でも未来でもなく今」とわかっているけれど、そう簡単に割り切れない奴の日常

ままならない人生をそれでも生きる

やりたいことをやろう!という言葉は前向きで素晴らしいと思う。でも、やりたいことだけをやっていれば本当にそれでいいのだろうか。やりたくないことだって、やってみたら面白かったということは山ほどある。それに、やりたくないことの中にやりがいを見出していくスキルがあった方が生きていく上でも何かと都合が良いかと思う。

仕事に限って言っても、自分に合う仕事かどうかなんて、そんなの実際はその仕事に就いて3年程度は働いてみなくてはわからないのだ(仕事によっては5年だったり10年だったりする)。

だからといって3年以内に辞める人が悪いという話ではない。それは当人の自由である。自由には当然のごとく責任が伴う。辞めたければ辞めればいいのだ。その代わり、その後のことまで責任を持たなくてはならない。他人が何とかしてくれることもあるかもしれないけれど、それは運が良い場合の話。何が起こるかわからないのだ。ましてや他人に頼れば、万が一裏切られる可能性もある。最悪のケースを想定しておいた方がいい。結局、自分の人生をどうしていくのかにおいて、信じられるのは自分自身だけなのだ(他人任せにしない方がいい、絶対に後悔するから)。

 

人生は、ままならないのだ。思い通りにいかないのだ。今日、最高の気分で過ごせたとしても明日は絶望を抱えていることだってある。その逆もまた然り。

どうすればいいという話ではない。本を読めば答えが書いてあるのだろうか。それは違う。ブログを読めば?違う。考えなくてはいけない。自分で考えた方がいい。自分の人生なのだから。ままならないし理不尽だしなんで自分は生きているんだろう、なんて思う時がだれにでもあるのが人生だ。それでも、どうにかして生きてやろう、楽しんでやろうと思ってほしい。

 

あなたが生まれたのは偶然だ。必然なんかではない。でも、一度きりだ。楽しいのも苦しいのも死んだら終わりだ。そして死ぬまでに残された時間は一人ひとり違う。だから、今、もし苦しいのなら、その苦しみから脱出するにはどうすればいいか、自分で考えるんだ。今、もし楽しいのなら、その楽しみを継続させるにはどうすればいいか、を自分で考えること。

 

これが「生きる」ということではないのか。

どうか自分自身に、甘えるな。

 

 

きょうも誰かが悩んでる - 「人生案内」100年分

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