元はただの石ころ

「確かなのは過去でも未来でもなく今」とわかっているけれど、そう簡単に割り切れない奴の日常

10年前、27歳。

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10年前、27歳だった。

何をしていたんだっけ。思い出せずにスマホで写真を確認すると、新卒で入社した会社を辞めて装丁家になろうと奮闘していた時期だった。町田の雑居ビルに入っているパソコン教室でイラレ、フォトショ、インデの使い方を習っていた。当時、相模原の2DKのアパートに住んでいた。精神障害を持つ子と付き合い、同棲していた。ある日気まぐれでパソコン教室の帰りにゲームセンターに入り、2階のメダルコーナーに行った。昼間なのに薄暗く、自分が一番嫌いな煙草の臭いがそこかしこに漂う店内できらきらと輝くゲーム機の数々を見て、なぜだかやってみようと思った。しばらくしてビギナーズラックなのか、当たりが出たようで2000枚のメダルが放出された。ステンレスのメダル吐出口から勢いよく排出されるメダルのカンカンという甲高い音を聞きながら、僕はすっかり興奮しきっていた。メダルを店頭に預けることができるとのことでその日はそれで帰宅した。同棲していた彼女は病気のせいで仕事をしておらず昼間から寝ていることが多かった。寝ている彼女を起こさないようにそっと僕は6畳の洋室いっぱいに置かれたダブルベッドの空いている部分に寝転がった。

「遅かったね」と彼女が僕を振り返って言った。起きていたのか。

「今日はパソコン教室の帰りにカフェに寄って自習していたから」と僕は嘘を吐いた。

「そっか。偉いね」と彼女は言って薄く笑った。

「私なんて今日、ずっと寝てただけだよ。なんにもしなかった……」

彼女の言葉を聞きながら僕は先程のメダルゲームのことを考えていた。

当時、失業給付をもらっており最低限の生活は働かなくてもできていた。パソコン教室は自分で動画を見ながらその通りに操作する、という形式で日中の何時に行ってもよかった。次の日から僕はパソコン教室に行くと言って朝からゲームセンターに入り浸る日々を過ごした。装丁家になるという夢を追いかけるために前職を辞めて高いお金を払ってパソコンを購入し、パソコン教室に通っているというのに、同棲している彼女に嘘を吐いて何の生産性もないメダルゲームに一日中興じる。それでもまだ最初のうちは午前中だけメダルゲームをして、午後はきちんとパソコン教室に行っていた。しかし、メダルゲームをやったことがある人ならわかると思うが、あと少しで大当たりが出そうな予感がある際に、ぱっと止めることは難しい。気がつけば朝から深夜のそれこそ終電近くまで一日中ゲームセンターにいることもあった。睡眠時間を削り、食事も菓子パン等を買ってきてメダルゲームの席で食べた。

なんでこんなことをしているんだろう。何度もそう思い、明日はやめようと決意するのに、朝になったら「今日で終わりだから」と自分に言い訳をしてゲームセンターに行った。今思えば明らかに異常だった。とりあえず、預けてあるメダルが1万枚を超えるまでやってみようと思い、それはしばらくして達成できた。しかし、それでもまだゲームセンターに通う毎日を続けていた。廃人、という言葉が思い浮かび、この言葉がしっくり来る状態だなと思っていたがそこから抜け出すことができなかった。蟻地獄に入り込んでしまった気分だったが、大当たりが出た時に感じる高揚感だけがその時の僕の唯一の希望だった。

数ヶ月そんな生活を続けて、いよいよ失業給付金が切れる月になって僕は焦り始めた。このままでは来月には貯金を切り崩す生活をしなくてはいけない。パソコン教室にまた通い始め、なんとかカリキュラムを終えた。ゲームセンターは気になっていたが収入がない状態になってまで通うことはしなかった。

就職活動をしたが、全く駄目だった。装丁家になろうという夢は書類選考すら通らない現状で諦めざるをえなかった。装丁家とは縁遠いがとりあえず印刷会社の派遣社員となった。会社は池袋から数駅の場所にあり、相模原から通うには遠すぎた。1年後、正社員になりしばらく働いてから、同棲していた彼女が疎ましくなり僕は所沢に引っ越した。彼女に、所沢に引っ越しをすると言うと、自分も付いていくと言い張った。しかし僕は彼女に引越し先の住所を教えなかった。そのまま引っ越しをして、その後で別れを切り出した。最後にもう一度会いたい、と彼女は何度も言ったが僕の気持ちはある出来事があってから急速に冷めてしまっていたのでそれは頑なに拒否した。精神障害を患い、誰とも深く関わらないように生きていた彼女に光を見せたのは自分だったのに、それをまた暗黒の底に突き落としたのも自分だった。本当に最低な奴だと思う。今こうして書いてみても明らかに最低だ。彼女は今何をしているんだろう。連絡先はすべて削除してあるので調べようにも調べられない。少しでもしあわせに生きていてくれたらと思うが、この思考自体も傲慢過ぎて手に負えない。

 

あれから10年。37歳。

まだ生きている事自体にまず驚く。10代の頃は明日死んでしまおうかと思う日々が続いたこともあったのに。こんな最低な人間でもまだ生きている。あれから更に2度転職をして今は福祉業界で働いている。精神障害の人に対応することもある。明らかに不適格だろうけれど、仕事を選んでいられるような年齢でもない。

そういえば精神障害の彼女は本を読むことが大好きだった。チェーンのカフェでお互い黙ってカウンター席に並んで座りいつまでも読書をした。カウンター席の目の前はガラス張りになっていて行き交う人達が足早に通り過ぎる。仕事をしている人ばかりがいる都会で、仕事をしていなかった2人のささやかな贅沢がカフェに行って本を読むことだった。

 

変わらないことは、自分の核となる部分の思考回路。変わったことは、それ以外すべて。

 

※勢いだけで書いており校正していない。ほぼ真実の内容で、ここまでさらけ出して書いたのは久しぶりだ。時々こういう文章を書きたくなるのは、自分がまだ文章を書くことを諦めていないからかもしれない。

 

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと